みかづきときどき日記

本や日常のことなどゆるゆる

深沢潮『李の花は散っても』(朝日新聞出版、2023年)

 

この春学期(前期)はなぜかとっても忙しくて、ブログも放置状態に(汗)。

 

仕事で必要、という以外の小説を読むまとまった時間がなかなか取れなくてもどかしい状態ではありましたが(「物語」養分欠乏症)、夜寝る前に少しずつ読み進めていたのが深沢潮『李の花は散っても』(朝日新聞出版、2023年)でした。ようやく読了。よかったー。

 

本作品はふたりの女性——李方子とマサ——を主人公にすえた歴史小説です。

 

李方子といえば、旧皇族である梨本宮家に生まれ、昭和天皇のお后候補とも言われた方ですが、14歳の夏に、自分と李王朝最後の皇太子である李垠との婚約報道の記事を目にし、初めて自分が李家に嫁ぐことを知った、という。婚約発表後は朝鮮風の髪型にして、学習院女子中等科に通ったというエピソードなどはよく知られていると思います。本作では、李家に嫁ぐ前の彼女の決意や、周囲の政治的思惑に振り回されながらも、穏やかな垠につくそうとする方子の姿、授かった子ども(晋)の不審な死、垠の妹である徳恵への配慮などが描かれます。

 

もうひとりの主人公マサは、かつて梨本宮家の千代浦(侍女頭)付きの女中だったという母親のもとに生まれるも、父親が誰だかは知らないまま育った女性です。母親が使えた梨本宮家のお姫様である方子を敬愛している彼女は、地方の実業家の後妻に入った母親が亡くなったあと、義理の父親やその子どもたちに虐待され、身一つで上京します。そこで朝鮮独立運動に関わっている留学生の南漢(ナムハン)、そして彼のいとこで東京女子医学専門学校に留学している恵郷(ヘヒャン)に出会い、関東大震災の後、朝鮮半島へと渡る。

 

戦前、戦中、戦後へと、朝鮮と日本というふたりの女性——マサコとマサ——が並行して語られる本作は、史実とフィクションが混ざり合いながら、「国家」に利用され戦争と政治に翻弄されたふたりの女性の生涯を描き出しています。「個人の幸せなど、国家の利益の前ではみじんもない」(153)ことを身を以て知る方子は、戦後も国家によって翻弄され、国籍さえもあやふやになってしまう。一方で流れ流れた朝鮮で日本人であることを隠して生きることになるマサ。祖国に帰ることができない夫を支える方子と、添い遂げることができない夫を待つことで、異国にとどまるマサ。交互に語られるふたりの物語は、国家、祖国、国籍、民族の意味を問い直します。

 

この物語で印象的なのは、方子もマサも自分を責めてしまうような経験をたびたびする、ということです。たとえば方子は、長男である晋が生後わずか8ヶ月で命を落としますが、本書ではこう語られています。

 

——私が日本人だからなのだろうか。晋ちゃまに日本人の血が流れているからなのか。それなら、私だけを死なせてほしかった。私は、我が子を死なせるために朝鮮に来てしまった。

 

また、マサは関東大震災の際に、朝鮮人を探している自警団に友人が殺された際、「あたしのせいだ」と自分を責める。また戦後も混乱が続く朝鮮半島の状況を知り、「そもそも、あたしの国、日本が、朝鮮をわがものとしたことからこうなっているのだろうか。だとしたら、あたしは日本人であることが嫌になる」といった気持ちを抱きます。

 

それぞれに、なぜ、と問うふたり。その時その時で懸命に生きながらも、しかしさまざまな状況に—自分の意思や努力とは関係のないところで—翻弄されてしまう。もしそれに理由があるとしたら、やはりそれは「戦争」であり、憎悪を生み出す「侵略や支配」であることに、マサは気づいていきます。

 

——そうだ、なによりも悪いのは、戦争、だ。

——お国の偉い人達が決めて、勝手に戦争を始めて、二百万人以上のひとたちを死なせた。ひとびとから大事なものを奪った。戦争のために、家族を失ったり、はなればなれになったりしたひとたちを清凉里でも沢山見てきた。あたしだって、大切なひとたちとはなればなれになった。

 

戦争は悪い——もちろん、そんなことはわかっていることで、誰だってそう思っている、と言ってしまうこともできるかもしれない。ですが、方子とマサのふたりの物語を読み進めていると、この言葉がすとんと胸に落ちてくるような気がするのです。やっぱりそれは作者である深沢潮さんによる「物語の力」なのではないかと思ったのです。

 

実はわたしは以前から李方子さんのことに興味があって、渡辺みどり『李方子妃——日韓皇室秘話』(中公文庫)を読んだり、晩年を過ごされたという昌徳宮に行ったりしたこともあったのです。しかし、なんでこんなに彼女のことが気になるのかな〜と思いながら『李の花は散っても』を読んでいたのですが、なんとなくわかってきたような気がします。それについてはまた別の機会に書きたいなと思っています。