みかづきときどき日記

本や日常のことなどゆるゆる

浜野佐知とキャンディダ・ロイヤル

 

さて、4月、5月、6月と、ブログを放置していったいぜんたい何をやっとったのかと。

 

なんだか今年度の春学期はいそがしかった。学内の仕事が忙しかったということもあるのですが、5月には日本英文学会というところでシンポジウムがあり、4月や5月の連休はそちらの準備で時間を取られてしまった。


6月にはハーバード大学歴史学部教授Jane Kamensky先生が、東大のアメリカ太平洋地域研究所(CPAS)で講演されるというので、コメンテーターとしてお呼ばれしたので参加してきました。その準備が大変だったのですが、面白かった。

 

Kamensky先生の専門は独立革命期のアメリカ史なんですが、今回の東大での講演は、Candida Royalleという1970〜80年代に活躍したポルノ女優(その後ポルノ映画の監督になった)について。彼女は2015年に亡くなったのですが、日記や手記、写真などの遺品がSchlesinger Libraryに入ったのをきっかけに、Kamensky先生が彼女の伝記を執筆したのだという(来年3月刊行予定)。その内容を一部特別に本講演で披露してくれたのでした。そのコメンテイターとして、参加してきたのでした。

 

 2週間前くらいにマニュスクリプトをもらい、そこからさあどうするか。Candida Royalleが出演したポルノ映画を検索するも、タイトルは出てくるけどさすがに配信でも見ることができない。DVDがないのはもちろん、見られる媒体があったとして、VHS? でもそれすら入手は難しそう。

 

ただ、彼女の著作Kindleで入手出来ました。セックス指南書のような。その序文には、女性からの視点の性の大切さが書かれていました。

そこで「あ!」と思いついたのが、浜野佐知監督のことでした。しかもCandida Royalleは1950年生まれ、浜野監督は1948年生まれの同世代。どちらもポルノインダストリーにかかわり、あくまで女性の視点で性を考えようとしていた。ちょうど浜野監督は去年自伝的著作『女になれない職業』(ころから発行)を出版している。というわけで、さっそく浜野作品を見直し、女性が語る女の性、についてまとめることに。

 

浜野監督の人生の凄さと、切実さが伝わる本でした。彼女が映画界に入りたいと思っても、女はお呼びじゃないと言われたこと、ピンク映画の助監督になるにも一苦労だったこと、しかしピンク映画界で何百本もの映画を撮っても、「女性映画監督」とは認められないことなど。浜野監督の言葉は、だからとても力強い。

 

私は男の監督たちが描く「幻想の女」をぶち壊したかった。男たちの欲情に水をぶっかけ、男たちが作り上げてきたピンク映画にケンカを売りたかった。

 

 

私が彼女たち(女優たち)から得たのは、半端な覚悟では言えない言葉の数々だった。そして、その言葉たちは、私に新たな覚悟をもたらした。ピンク映画で、女の性を、女の手で、女の側から描く。彼女たちがわたしの進むべき道を示してくれたのだ。

 

 

浜野監督のアダルト作品はAmazonプライムでいくつか見ることができました(有料)。他のAVはわたしは二村ヒトシ監督作品くらいしか知らないので比較はできませんが、いろいろ面白いなと思うところが沢山ありました。

 

もちろん、浜野監督は、ピンク映画・AV界隈のダークサイドも認識しています(女優が搾取されることなど)。その点もキャンディダ・ロイヤルと共通する。ただ、浜野監督が言う「主体として欲情する女の性」への指向は、60年代以降の日本における「性の革命」のこととか、Our Body, Ourselves(なんと『女のからだ』として翻訳が1974年に出てた)、ウルフの会のことなどの背景とともに論じられるように思われました。そうしたことをからめつつ、コメントでは浜野監督の映画『百合祭』における年老いた女性の性や自己決定について考察するような内容にしました。

 

Kamensky先生は、浜野監督の『尾崎翠をさがして』はご存じでしたが、『百合祭』は見たことがなかったとのことで、とても面白そうだとおっしゃっていました。

 

しかし1970年代のリブ運動についてほとんど知らなかったので、もっとやらねばな…と思ったわたしでした。本当はやおい文化の話にも派生できるかもと思ったのですが、時間の制限もあり今回は断念。でも自分自身の勉強にもなりました。今回CPAS所長の橋川健竜先生や、土屋和代先生にお声がけいただき、とても楽しい機会となりました。

 

そうこうしているうちに6月も終わって、7月になっちゃた。7月は編集を手がけた論文集が刊行される予定なので、またいずれそのこともお話します…。