みかづきときどき日記

本や日常のことなどゆるゆる

宋恵媛・望月優大(文)・田川基成(写真)『密航のち洗濯 ときどき作家』(柏書房、2024年)

SNSで見かけてその場で購入した本。ちょうど学期末のいろんな仕事が一時的に落ちついた時期だったので、すぐに読み始めた。ら。

 

一気に読んでしまった…。

 

物語は、第二次大戦後、朝鮮半島蔚山から山口県に到着した密航船からはじまる。そこに乗船していたひとりが、尹紫遠(本名 尹徳祚)である。歌集や自伝的小説を残した尹は、日本の支配が始まった翌年1911年に蔚山で生まれ、わずか12才で単身渡日、その後27才になるまで故郷を再び訪れることはなかった。日本で結婚し生活を営んでいたが、徴用を逃れるため朝鮮半島に戻り、そこで終戦を迎える。その後混乱する朝鮮から逃れようと日本に密航した・・・。そのとき妻と生き別れとなってしまった尹は、戦後日本人女性と結婚、3人の子どもに恵まれ、クリーニング屋を始めるが、生活は苦しいまま、1964年に病没。

 

本書は、この尹紫遠が残した日記や小説を手がかりに、尹個人とその家族の足跡を辿るドキュメンタリーであると同時に、尹と同じ状況を生きていた人々が直面したであろう戸籍や国籍の不確かさ、差別と排除の空気、国家と国境、記録と記憶といった、いわば人が生きることの意味を問い直す物語でもある。

 

実際、本書の冒頭にはこう記されている。

 

百年を超える尹紫遠とその家族の歴史の背景には、植民地、警察、戦争、占領、移動、国籍、戸籍、収容、病、貧困、労働、福祉、ジェンダーなど、様々なテーマが見え隠れする。誰かが「書くこと」と「書けること」についても、重要な主題となった。(8頁)

 

自分自身は変わらないのに、国籍を剥奪され、移動を制限され、福祉からも排除される。戦後の混乱期だったから、昔の話だから、ではすまされない問題がここに描かれている。誰が受け入れられ、誰が拒否されるのか、ということの恣意性は、いまも変わらない。

 

尹紫遠の日記や小説を歴史的資料とともに提示し、個人史から歴史を見つめ直す本書は、一人ひとりの人間が歴史を作り出していることを改めて示す。

 

日記を書き続けた尹紫遠の叫びは、いまこうして現代の読者に届く。しかし一方で、こうした記録を残さなかった––––あるいは残せなかった人々の声は、どこかに埋もれていってしまうのだろう。しかし、本書はできるかぎりそうした人がいたことを意識しているように思われる。また、残った記録はなぜ残ることができたのか(誰の手によって残されたのか)ということへの言及があり、そこにわたしにとっての本書の最大の魅力がある。

 

尹の最初の妻であり、密航の際に別れてしまった金乙先、尹と結婚したことにより日本国籍を失った大津登志子、そして尹と登志子の娘・逸己。

 

尹は密航で日本に来たものの、密航船ごと見つかり収容所に留め置かれていた。彼は一緒に来ていた妻・金乙先を置いて––––「必ず一年以内に迎えに行く」という言葉とともに––––そこを脱出し、妻は送還されたという。そのときの妻は何を考えていたのか。わたしたちにはそれを知る術はない。良家の子女であった大津登志子は、経済的にも夫を支えていたが、暴力をふるわれることもあったという。彼女から見た記録はない。本書はしかし、こうした「書かなかった」人々への思いを持ち続けているように思う。

 

それは、本書も終わりに近いところにはさまれた、長女・逸己に関する章でも明らかである。ここまで、尹家の暮らしについては、長男の泰玄への取材を中心に語られているが、それは逸己の資料整理があってのことだった。

 

尹紫遠の人生、その家族の歴史を辿る私たちの試みは、実のところ逸己の働きに深く依存していた。泰玄が見せてくれる昔の写真はきれいに整理され、その多くに説明書きの付箋がついていた。誰かがしてくれたその作業を、私たちは当然視して意識の外に置いた。家族の歴史を教えてくれるのはいつも泰玄だった。だが、その背後にはいつも逸己がいた。

 彼女が黙々とこなしてきた仕事の重さを理解するまでには随分時間がかかった。泰玄に対して「妹さんからもお話をきけないか」とたずねたのはだいぶあとのことだ。(243頁)

 

 こうして聴き取られた逸己の言葉は、素朴ながらも胸を打つ。

 

その意味で、彼女は確かに歴史を準備していた。だが、逸己自身は家族の遺品整理を、「女の子」に期待される「家事労働」の一環だとも捉えていたという。(246頁)

 

ここで、家事労働と記憶と歴史が交差する。書かれた記録を残しているのは誰なのか、残った記録はなぜ残ることが出来たのか–––なにかを書き記すことと、それを残すことの意味を問い直す。

 

興味深いことに、大学進学ができた兄と弟とことなり、夜間高校を中退し、電気会社で産業ロボットを組み立てる仕事に従事しながら子どもを育てた逸己は自分を「ロボット屋」と呼ぶ。様々な境界にいる彼女は、さまざまなものを支えてきた–––家族、歴史、産業など–––。彼女自身の名前を残すことなく。

 

余談になるが、本書を読みながら、だいぶ前に読んだ羅英均『日帝時代、わが家は』(みすず書房、2003年)を思い出していた。『日帝時代、わが家は』は、日韓併合による日本占領下の朝鮮で独立運動に身を投じた作者の父・羅景錫と、韓国初の女性洋画家となった叔母・羅蕙錫の人生を中心として、朝鮮戦争の動乱期までの羅一家の足跡をたどった記録だ。

 

こちらも、ある家族の単なる私的な回想録ではなく、国家の独立や女性の自立の問題を含んでいる、という点では共通するかもしれない。もちろん、英文学者として名を馳せた羅英均と、尹家の人々を一緒に語ることはできないのだが、わたしが『日帝時代、わが家は』を思い出したのは、こちらにも声を上げることのなかった女性の記述があったことを覚えていたからだ。それは景錫が一四歳の時、親に結婚させられた女性・朴富利である。景錫がどうしても愛情を持てず、さりとて離婚など考えられない時代に羅家に嫁いだ富利は、一生をひとりで暮らすことを余儀なくされた、という。

 

日帝時代、わが家は』は、長らく読み返していないので記憶だけで書いてしまうが、羅英均の朴富利に対する書き方はやや冷ややかだったと思う(朴富利が父親の正妻だから、自分の母親は彼女のせいで正式に妻にはなれない、というようなニュアンスの記述だったような)。それだけに、この声なき女性のことが、わたしはとても気になっていた。だから、『密航のち洗濯』では、どのような立場であっても、そうした小さな声を拾おうとする姿勢に、なにかとても安堵したのだった。

 

李里花『朝鮮籍とは何か–––トランスナショナルの視点から』(明石書店、2021年)や、『朝鮮学校物語り–––あなたのとなりの「もうひとつの学校」』(花伝社、2015年)など、これまで読んだ本と合わせて、手元に置いておきたい一冊。