みかづきときどき日記

本や日常のことなどゆるゆる

【読み直す一冊】砂金玲子『ニューヨークの光と影−−理想と現実のはざ間から』(朝日ソノラマ、1982年)

ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビューのポッドキャストで、最近のエントリー“Public Libraries, and Profiling Paul Harding”(2023年2月23日)を聞きながら出勤。そこでは、写真家のエリカ・アッカーバーグとレビュー・エディターのエリザベス・イーガンが公共図書館がコミュニティでどれほど大切な場所なのかを語っていました。図書館というのは本を借りるのはもちろんですが、映像資料があったり、生活に必要なものも借りることができたり、ワークショップが開かれたり、誰もが過ごせるような場を提供したり、コミュニティ・センター的な場所なのだと。

 

そんなことを聴きながら、ぼんやりと昔の自分を思い出していました。わたしは小学生から中学生にかけて毎週土曜日に市立図書館に通って本を借りる、というような子どもでした。自宅から歩いて15分くらいのところにあった市立緑図書館。けっこう急な坂道を登ったところにあり、そこからは街並みがよく見えました。借りられる冊数は3冊までだったので(確か)、毎回書架を行ったり来たりして、かなり時間をかけて本を探していました。あかね書房の推理・探偵傑作シリーズでポオの『モルグ街の怪事件』やシャーロック・ホームズもの、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の秘密』、アガサ・クリスティのトミーとタッペンスものの『冒険家クラブ』なども、図書館から借りてきた本で読みました。

 

あとは偕成社少女小説シリーズも好きで、よく借りていました。わたしにとってはちょっと古くさい感じの学校もの、という感じでしたが、そのどこかほの暗いじめじめした思春期の少女たちの様子に惹かれていました。当時読んでいた学園ものの少女マンガの明るさとはまったく違う世界がそこにありました。山下喬子の『悲しみは海の色』とか。

 

そういえば、アガサ・クリスティの『検察側の証人』を図書館で借りた本で読んだのも小学生のときだったかな。でもそのとき借りたのが、角川文庫で出ていた訳本で、タイトルが『情婦』だったんですよね。それを目にした母親がびっくりしちゃって「返してきなさい!」と怒って言ってきたことがありました。わたしは「なんで? これアガサ・クリスティのミステリだよ?」ときょとんとしていたのでした。

 

とかそんなことと一緒に、ポッドキャストを聴きながら、ある一冊の本のことも思い出していたのでした。

 

ところで、小学校6年生のときに、父親がなぜかわたしをとある映画のリバイバル上映に連れて行ってくれたことがありました。それは『ウエストサイド物語』。いろんなところで話していますが、わたしはこの映画を見てガツンと頭を殴られたような衝撃があり、この映画の舞台になったところはどこか、出演している俳優たちは誰か、いまどうしているか、などを調べるようになったのでした。

 

どうやらニューヨークという街らしい、ということがわかると、ニューヨークに関する本を図書館で探し始めました。刊行が始まってから間もない『地球の歩き方 アメリカ編』も図書館で借りて、隅から隅まで読んでいたのもその頃でした。

 

そんな中で、手にした一冊の本がありました。それはニューヨークで福祉関連の仕事についている日本人女性のルポルタージュケースワーカーという言葉や、困窮者を助けるソーシャルワーカーという存在を知り、ひじょうに感銘を受けたのです。しかもそこで日本人の人が活躍している。内容的には、子どもにはちょっとわかりにくいところもあり、全部を理解できてはいませんでしたが、たびたびその本を借りていました。

 

しかし、中学3年くらいになると、次第に受験などで忙しくなり、図書館に行くことも少なくなりました。それにともなって、タイトルや著者名について忘れてしまったのです。その後、引越などもあって地元を離れたため、その本の書誌情報を確かめることもできなくなりました。覚えていたのはニューヨークで福祉関係の仕事についていた日本人女性の話、ということだけ。

 

でも、時折ふと思い出すことがあり、もう一度読みたいなあという気持ちが膨らんでいきました。でも、あまりにも記憶がおぼろすぎて、ネットで「ニューヨーク」「ソーシャルワーカー」などのキーワードでさがすも見つからず。国会図書館のデータベースでも探そうとしたのですが、キーワードをあれこれ変えて検索したものの、見つからず。

 

しかし、コロナが始まって家にいる時間が多くなった3年前のこと。ふと、国会図書館のデータベースに再度トライしてみたのです。「ニューヨーク」をキーワードにそして刊行年を1970年から1990年に絞って検索、一冊一冊タイトルをみながら、見覚えのある題名はないか確認しました。

 

国会図書館のデータベースでは本の内容まではわからないので、これかな?と思う本があったらそのタイトルをグーグルで検索して古書の表紙を見たり執筆者を調べたり・・・を繰り返して、とうとう見つけました。

 

それが砂金玲子『ニューヨークの光と影ー理想と現実のはざ間から』(朝日ソノラマ 1982年)。たぶん中学1年(1983年)のころに読んだんじゃないかと。地方の図書館にまで入ってたということは話題の本だったのかも。1997年に増補版がでているようでした。

 

まだ古書で入手可能だったのでさっそく注文しました。そしてほんとうに数十年ぶりの対面を果たしました。いま読み直してみると、いまもなお重要な問題が沢山含まれていることに、いささか驚いたのでした。最初に読んだ時にもっときちんと理解できていれば・・・。

 

たとえばホームレスの問題。生活保護の問題。有色人種の女性の貧困に関する問題。十代の妊娠出産、中絶の問題。家庭内暴力の問題。行政と支援の間で板挟みになるケースワーカーたち。具体的にどういうサポートがあり、どのような問題があるのか。ソーシャルワークとは何なのか。

 

そしていま読み返して気づくのは、著者である砂金玲子さんの、距離を取りながらクールに観察している記述の中にふと垣間見える、人間というものへの、半ば呆れながらも見放せないな、というような感覚なのでした。なんというか、突き放したような、でもどこか優しいような視線。

 

たとえば、有名デパートの前に座り込んでいるバッグ・レディ(紙袋に持ち物を全部いれて持ち歩いている女性のホームレス)については、こんな記述があります。

 

彼女は、いわゆる「ショッピング・バッグ・レディー」と呼ばれており、一種の精神病患者である。観光客などが珍しがって、好奇心にかられ話しかけたりする。一体どんな背景で、どのような人生を歩んだ人なのだろうか。彼女は話などまるで意に介さない。ぶつぶつ独り言をつぶやいているだけである。(中略)

 

芸術かぶれの友人たちが、この「ショッピング・バッグ・レディー」を勝手に想像し、偶像化して、「自己を物的欲望から解放し、永遠の放浪に身を任す、真のボヘミアン」などと話している。そんな顔をしみじみながめると、一体どちらが正常性を失っているのか、と思わされてしまう。ニューヨークでは彼らの存在は既にポピュラー化していて、「ニューヨーク名物」という人もいる。

 

ぎすぎすやせてもいないところを見ると、結構、食べ物は、どうにか手に入れているらしい。私が、たまたま、そばを通り過ぎたとき、彼女は一本のバナナを相手に、自分の目の高さにもち上げ、対話中であった。

 

「どうして、愛し続けることができるというのでしょう。あなたがそう言ったからといって……。わからないの、あなたは」

 

私は、ぎくり、として立ち止まった。

 

一応、話が終わったとみえて、対話の相手役であったバナナは、一瞬のうちに口に運ばれた。食べている間、彼女の白く丸い頬に、安らぎが見えていた。一心になって、彼女は食べていた。やがて、食べ終わって、しばらくバナナが、胃の腑に落ち着く心地良さを味わっているのか、呆然と、座ったまま、髪が風で吹き上げられ、頬に垂れ下がるにまかせていた。

 

 

この部分を読み直したとき、わたしの頭の中に、ウィリアム・カーロス・ウィリアムの詩 “To a Poor Old Woman”が思い浮かびました。あれは道ばたで年老いた女性がプラムを食べる詩ですが、そのプラムの美味しさを描いた詩と、上記の砂金さんのバナナを食べる女性の姿が、どこか重なるようなのでした。こうしたところから、砂金さんが社会の周縁にいる人を、どう描いているかが見えてくるように思ったのです。

 

とはいえ、砂金さんは自分たちが助けている人々を「可哀想で、手を差し伸べなければならない弱い存在」として描いているわけでは決してない。そうした人々の強さやしたたかさ、ソーシャル・ワーカーを困らせるような人々、こちらが必死で助けようとしてもそれに応えてくれない人々の存在も理解しているし、突き放したような記述もみられます。

 

けれど彼女は、こう本書を締めくくっています。

 

このような効果のさっぱり現れない仕事の壁は、この今日このごろ、ますます厚く冷たくなっている。喧騒な一日が終わり、潮が引いてしまった後の、浜辺のような静寂さが夕暮れの迫ったオフィスの窓に押し寄せるとき、暗い部屋に一人残って書類を手にしながらなんとなく、シニカルなムードに陥ってしまうことがある。

 

仕事に生甲斐と情熱とを初心者のように理想に燃えて持ち続け、「努力は必ず報いられる」といまもって信じられる人たちは、真に幸運な人たちだと思う。

 

しかし、人間が本来持っている貪欲さを赤裸々にむき出して、無知なるがゆえに世間智にたけるだけの武器を駆使しながら、生き永らえようと必死の群集や人間像を見つめるとき、私は、やはりそのまま見過ごしには出来ないと感じさせられてしまうのである。

 

Reiko Isagoでいろいろ検索したところ、ご結婚後はReiko Isago Parvez Caoという名前になっており、2016年6月にお亡くなりになっていたということがわかりました…。1932年のお生まれだということでしたので享年84歳でしょうか。

 

小学生の頃、アメリカ=豊かな国みたいなイメージがあったわけですが、映画『ウエストサイド物語』を見て人種とか貧困の問題がありそうだぞ、ということがわかり、そんなときに読んだニューヨークの福祉局で困窮者を訪問し支援するソーシャルワーカーとしての仕事が綴られた『ニューヨークの光と影』は、ずっと心に残っていた本でありました。一時期、ぼんやりとソーシャルワーカーっていうものになってみたいなと思っていたことがあったのを、本書を読み返して思い出しました。その気持ちを持ち続けていたら、わたしはいまはどんな仕事についていたのでしょうか。

 

そんなふうに思っていたのに、わたしはなんでこんなになっちゃったのかな? サリンジャーのせいかな? 

 

地方都市に住んでいたわたしにとって、地元の図書館は、「ここではないどこか」への扉でもあったのでした。そんなことを思い出しました。