みかづきときどき日記

本や日常のことなどゆるゆる

高原英理『詩歌探偵フラヌール』(河出書房新社、2022年)

昔はもっと詩を読んでいたような気がするけれど、最近はめっきり詩を読む頻度が減ってしまった。

 

「詩」を学べば学ぶほど難しいな、と感じるときもあって、それで読むものが小説に偏ってしまったりしている。でも、そもそも詩歌とは、もっともっと日常の中にあるものなのかもしれない、と思ったのは、高原英理さんの新刊『詩歌探偵フラヌール』を読み終わった時でした。

 

もう、ですね。

めちゃくちゃ面白かったんです。

だいたいタイトルが「詩歌」×「探偵」×「フラヌール」っていう組み合わせだけでアガりますよね。読んでいる間も、ワクワクしてしまう。

 

遊歩(フラヌール)は、目的なく街をさまよい、一歩ひいた視線で観察する、ということと理解していますが、本書では、ジュンとメリという二人組が詩歌をたよりに街をさまよい歩き(フラヌールし)ながら、詩に歌われている情景を探し求めたり、訳詩を比べてみたり、言葉から想起されるイメージをどんどんつなげていったりする8つの物語が収められています。

 

詩を読む、というより、詩を遊ぶ、という感じがいい。萩原朔太郎大手拓次、アルチュール・ランボ−、閑吟集などから最果タヒまでいろんな詩に出会える。全部で8つの物語が収録されている中で、わたしが特に好きだったのが「Dエクストラ」(Dとはなにか?がミソ)と「モダンクエスト」でした(佐川ちかについてもっと知りたくなりました)。

 

わたしたちがよく知っているはずのものが、まったく未知の世界への入口であること。日常の街並みの中にふと非日常がひそんでいること。歩き回ることで、そこに入り込んでしまう瞬間があること。フラヌールと詩は案外近いのかもしれないな、と思ったり。

 

詩にまつわる小説、ではあるのですが、実はこの小説そのものが詩みたい、と思いながら読んでいました。なんだろう、散文詩といってもいいのかな(知らんけど)。とにかくリズムがいいし、読んでいて気持ちいい。

 

僕たちはそれで今日も、ふらりと参ろうかの。永遠ハントに。

「今日はいい永遠見つかってますよ」

「おっイキがいいね」

とメリのいるアパートから出て車道の脇の歩道を歩くのだった。

 

とか

 

「あ、丘。丘の花」とメリ。

右手側に小さい空き地があって、周囲をロープで囲まれている。そういう所はたいてい平たい字面に雑草はえはえなんだけど、ここは人の背の半分くらいの高さまで土が盛り上がっていて、雑草は少なくて、赤い小さい花がぽつぽつ、あちこちに咲いていた。

「なんて花かな」

「ポピーとかかな」

「ここはなんか浄土感あるね。ちょっと永遠。完全じゃないけど、ちょ永遠」

「ちょ永遠ね」

 

とか。「浄土感あるね」って言ってみたい。他にも付箋いっぱいつけました。

 

高原さんの『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』(立東舎、2018年)とあわせて読むと面白さがさらにアップ。