わかってはいましたが、1月から2月にかけてはやっぱり忙しいので、週一でのアップはもはや無理でした(汗)。
とはいえひさびさにすごく面白いアンソロジー『絶縁』を読んだので、ちょっとメモ的にアップ。ほんとどの作品も読み応えがあって、「アジア9都市9名が集った奇跡のアンソロジー」という帯の惹句にも頷ける。
収録作品は以下のとおり。
村田沙耶香 「無」
アルフィアン・サアット「妻」(シンガポール) 藤井光訳
郝景芳「ポジティブレンガ」(中国) 大久保洋子訳
ウィワット・ルートウィワットウォンサー「燃える」(タイ) 福冨渉訳
韓麗珠「秘密警察」(香港)及川茜訳
ラシャムジャ「穴の中に雪蓮花が咲いている」(チベット) 星泉訳
グエン・ゴック・トゥ「逃避」(ベトナム) 野平宗弘訳
連明偉「シェリスおばさんのアフタヌーンティー」(台湾) 及川茜訳
チョン・セラン「絶縁」(韓国) 吉川凪訳
このアンソロジーは、日本の編集者がチョン・セランさんに日本の作家と一緒に本を出しませんか、という企画を提示したところ、セランさんから「アジアの若手世代の作家たちが同じテーマのもと短篇を書く」というアンソロジーが提案されたことから始まった本だとか。前書きでセランさんは、「絶縁」というテーマが「わりとすんなり」浮かんだと書いています。「私たちを取り囲むこの時代を圧縮して表現できる言葉だと思った」という。
時代を圧縮して表現できる言葉としての「絶縁」。
知っている言葉だけれども日常であまり自分自身は使ったことがない言葉。『日本国語大辞典』には「1.関係を断ち切ること。縁を切ること。2. 導体の間に電気または熱の絶縁体を入れて、電荷の流れまたは熱の伝導を遮断すること」とあります。そうするとこの「絶縁」というのは行為であって、しかも自分が行為の主体となって、縁を切るということなんですよね。これはたぶん今までも自分もしてきたことだったり、されてきたりしてきたこと。でもそれを「絶縁」と呼んでしまうとなんだかツライのでふんわりと「連絡はとってないなあ」とか「最近のことは知らないなあ」という感じでごまかすけれども、それは「絶縁」であり「遮断」なのですよね。
とはいえそれは、「絶縁」するまでは「縁」があったということでもあり、また「絶縁」という形でずっと関係が続いている(思い出すと心がちくちくしたり、怒りが再燃したり、後悔がよみがえったり)ということでもある。
などとぐちぐち考えながら読んでいたので、読み終わるまでにちょっと時間がかかってしまいました。ひとつひとつの作品が面白くも心に突き刺さるものがあり、作品を読んだあとにちょっとクールダウンの時間が必要で、それからまた次を読んで、という感じのアンソロジーでした。
先にも述べたとおり、どの作品も読み応えがすごい。のですが、中でも印象に残った作品としては、以下の三作品。
アルフィアン・サアット「妻」
これはもうかなり心に突き刺さった作品。ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』を読んだ時の感覚に似ている。妻サウダを視点人物とした夫婦の物語。夫イドリスには学生時代に結婚を考えた女性アイシャがいた。けれども、貧しい両親からの期待を背負って大学まで行ったアイシャは、教師になり両親の生活を支えなければならず、結婚にはいたらなかった。一方、そうした夫の過去を知っているサウダは、自分と夫との間に子供ができなかったことで孤独を感じている。町でアイシャを見かけた、という夫からのなにげない話を聞いて、サウダはある大きな決断を下す、という内容。
たんたんと語られるサウダとアイシャのこれまでと、三人の関係の奇妙なバランス。イドリスが一番のんきなんだけど、それがまたリアル。最後のサウダの気持ちを思うと泣けてくる。
ラシャムジャ「穴の中に雪蓮花が咲いている」
北京の編集プロダクションで働いている語り手「ぼく」は、チベット出身の若者。チベット語書籍の編集に携わっているものの、「民族文化のため」という大義名分のもとで安月給でかなりの労働を強いられている。労働条件について直談判をしようと計画をしていたことが事前に社長に漏れてしまい、社長からにらまれてしまい仕事を辞めてラサに戻ろうとしている語り手。立ち寄ったスターバックスでカプチーノを飲みながら、故郷の幼なじみソナム・ワンモのことを思い出す。彼女は二年前交通事故で亡くなっていた。ソナムは親に中学進学を許されず、まだ少女といっていいような年齢で結婚させられてしまう。そんな中でも家族のために一生懸命働いて、結局事故で命を落とす。彼女がまだ幼かった頃、語り手とどんな時間を過ごしていたか、というソナム・ワンモとの思い出が綴られるんですけど、なんかそれがとても心にしみる。タイトルにあるとおり、穴の中の雪連花のイメージがとても印象的。
これは何度か読み直したい作品。舞台はカリブ海のセントルシア。台湾政府から派遣された農業技術者の息子・修立は、セントルシアの中学校で卓球チームに入っている。そこでアンデル、イシュマエルという地元の子どもたちと卓球の腕前を競っている。三人はよく一緒につるんでいるものの、必ずしも仲がいいというわけでもないが、しかしある種の連帯感のようなものもあったりする。
かれらの練習場のちかくにシェリスおばさんが住んでいる家があった。そこには「鳥の巣」と呼ばれる、車いすにのった身体障害者がいた(シェリスおばさんの子どもなのか孫なのか、あるいは他人なのかはわからない)。三人はよく練習のあと「鳥の巣」をからかいに(彼らは「遊び」のつもりのようだけれども)行っては、シェリスおばさんに見つかってこっぴどく叱られるのだった。
それぞれ人種も育った環境もちがう三人の少年たちの物語ではあるのですが、へんにいい感じの「少年達の青春の一コマ」風になっていないところがいい。むしろ少年の残酷さや、他人を傷つけることへの鈍感さ、心の機微をあえて理解しない姿などが描かれていて、「わかりあえなさ」が妙に解決されないがゆえに心に残る。でも決して八方ふさがりでもない。
という感じでしょうか。もちろんこの他の作品もどれもいい(グエン・ゴック・トゥの「逃避」もいいのよ〜)。各作品のあとに作者のあとがきや訳者解説がついているので、それぞれの作品への理解が深まりました。